--> 裏表紙よりあらすじ 昭和十六年、日米両国は最悪の関係に陥っていた。 前年の日独伊三国同盟に徹底対抗を宣するアメリカ。 大統領ルーズベルトは、すでに対日戦争の肚を固めていたのだ。 日本は打開策を模索し、再三交渉の特使を派遣するが…。 太平洋戦争全史を描いた唯一の大河小説、今よみがえる!全九巻。
--> ここが読みどころ 日本に開戦を決意させたハルノートを受け入れればアメリカとの戦争を回避できたのか。 日本を仮想敵とする米英に対抗するため、仕方なくナチスやファシズムとまで結んだ三国同盟がいけなかったのか。 明治維新以来、息詰まる人口増の問題の解決を求めて満州国へ出て行かなければ良かったのか。 それとも、鎖国中だった日本が列強による示威的外交によって開国することになったが、その時あの清国のように列強に分割支配をされていれば・・・。
いや、当時その利己のみを追い続け他国を食い散らす“白欧主義”が謳歌する地球上で、唯一有色人種による独立国と認められていた日本が、遅かれ早かれ彼らに挑みかかることは運命であったに違いない。 日英同盟の破棄や三国干渉、ワシントン・ロンドン条約など、日本はこれまで白人達に不平等に扱われてきながら耐えてきた。 しかし彼ら白人が唱える“自由”や“人道主義”は全人類が共有できるものではなく、あくまでも白人にだけ通用するルールであったのだ。 日本にとって死活問題である人口増の問題を満州国に求めても、自らが世界中に当然の如く植民地を持ちながらも白人達にはそれが許せない侵略に見えるのだ。
支那大陸進出を目論むアメリカのための架け橋や、国際共産党(コミンテルン)の防波堤としてイギリスを守るための番犬としては日本を歓迎するが、彼らと肩を並べようと努力する有色人種である日本人は許しがたい存在であった。 もちろん人種差別と言う概念が彼らにあったわけではなく、侵略の歴史によって培われてきた一種の感情の一つであろうが、“八紘一宇”、“東亜共栄圏”を旗印に日本人は彼らに挑戦することになる。 (現実には在米資産凍結、石油・くず鉄の禁輸などによって、追い詰められた形で開戦するのだが)
当時世界には五人のナポレオンがいたと筆者は述べる。 つまりルーズベルト(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)、ヒトラー(独)、蒋介石(中)である。 しかし、日本にはこの怪物たちと対等に渡り合える人物がほとんど皆無であったと言える。 特に外交では大人と子供の差であった。 その外交力の無さも日米開戦の一つの理由であったが、せめて陸相に石原莞爾、海相に山本五十六、そして外交で松岡洋右を自由に活躍させていれば・・・と筆者は愚痴を言う。
いよいよ開戦という場面に筆者は山本五十六を取り挙げ警鐘を鳴らす。 明治維新以来、列強に追いつけ追い越せで洋式の多くを取り入れ、ついに魂までも洋式になっていった大多数の“洋魂洋才”の軍人の中で(筆者は陸軍の暴走の原因としている)、山本は大鑑巨砲主義を打ち破る航空戦術を発案した進歩人でありながら、大和魂を忘れない数少ない“和魂洋才”の軍人だった。 その山本の口を借りて筆者は、 “明治維新の折に賊名をこうむって焦土とされた長岡藩がなぜ立ち直れたかと言うと、よく戦ったからである”と語る。 よく戦ったとは、例え負けても相手に侮られるような負け方だけはしてはいけない――という意味であろう。 たしかに太平洋戦争に限らず日本兵はよく戦い、日本は戦後奇跡的な復興を遂げた。 しかし、日本の敗戦によってアメリカに“白欧主義”の反省をさせることができたのか。 そして、戦後日本はペルリ以来のアメリカの亡霊を払拭できたであろうか。 筆者は別著においても戦後の日本人を批判しているが、まさしく彼らは“洋魂洋才”に染まり、ある意味それぞれ戦前以上に事態は悪化している。
戦時中は従軍作家として各戦線を転戦しながら戦場に触れ、戦後は多くの元将兵からその証言を聞いた筆者が、あの戦争は侵略ではなくやむない自衛であったと語る筆者が、なぜ“大東亜戦争”と呼ばず“太平洋戦争”と呼ぶのか。 戦後六十年以上経ても、なお左右論戦絶えないあの戦争から学ぶべきものは本当は何なのか。 いつから隣国から尊敬もされず侮られ続ける日本になってしまったのか。 命題多い本巻はさすが“歴史文庫全百巻”の最後を飾るに相応しい。
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